2020年4月26日日曜日

にっぽん市食堂



㈱にっぽん市の動画チャンネル「にっぽん市ちゃんねる」で
家庭料理のレシピをご紹介する「にっぽん市食堂」を開店しました。

料理も手作りなら動画も手作り、
我が社の代表・羽田夏子が生徒役、
私の奥さん・よしこさん(本邦初公開)が先生役、
私の孫・稀音家六泰介が音楽担当
撮影や編集も羽田夏子が担当します。

日本の家庭料理の美味しさ、温かさ、料理の楽しさなどを
ご笑味いただければ幸いです。
それと、動画にもレシピにも英語の翻訳が付いていますので
英語のお勉強にも役立ててください。

浜口家は母の食へのこだわりの所為でエンゲル係数が高い家でした。
母は典型的な「日本のお母さん」、専業主婦で口八丁手八丁、家事万端に勤勉な人でしたが、中でも、料理を作って、振る舞って、喜んでもらうのが大好きでした。
いつ何時お客さんが来てもいいように、食材を十分に準備しておくというのが信条で、我が家の三つの大型冷蔵庫は常に満杯状態でした。
実際、私の仕事柄、大人数の来客が頻繁だったのですが、母はこの時とばかり張り切って、料理でもてなしてくれました。
いま思えば、私の仕事を応援しようという気もあったのでしょう。
来客に不愉快な思いをさせてはいけない、人が寄りつかない家は栄えない、
というのが母の口癖でしたが、たくさんの人に料理を食べていただいて、おかげでたくさんのお友達に恵まれて、母はとても楽しそうでした。

私の家内のよしこさんは結婚当初は母の食へのこだわりにショックを受けたようですが、母はお構いなくよしこさんを鍛えました。
かなりキツかったと思いますが、よしこさんは自分の理屈や嗜好を抑えて、母に向き合ってくれました。
結婚して2、3年目の頃、初めて自力で作った茶碗蒸しを、母から「よくできた。合格ね」と褒められて、よしこさんが涙ぐんでいたのがいまでも目に浮かびます。

年を重ねて、よしこさんは母に並ぶ料理人になって、母の味を完璧に受け継ぐとともに、新しい味をたくさん開発しました。
母が亡くなって十年余りになりますが、いまでも「浜口家の味」は不滅です。
母とよしこさんが作ってくれた「浜口家の味」は私の最高の財産なのかもしれません。

よしこさんは勉強好きでやりたいことがたくさんあったようですが、浜口家の諸事情で、結局は専業主婦にならざるを得ませんでした。
そして、金婚式を過ぎて「金メダル専業主婦」になってくれました。
最近は少し暇が出来て退屈しているようなので、私は「浜口家の味」のレシピを纏めるように薦めていました。
よしこさんが「にっぽん市食堂」をやる気になってくれたことをとても喜んでいます。

ガンバレ!よしこさん。

2020年1月3日金曜日

我が家のおせち料理



娘が嫁ぎ、父が逝き、母が逝き、夫婦二人きりになって10年になる現在でも、我が家では家内が毎年のようにおせち料理を作る。
いまや、おせち料理でもてなさねばならない来客があるわけでもなく、元旦に娘一家がやって来て祝い膳を囲めば、それでおせち料理の役目は終わる。
この10年、家内は「おせち料理はやめてお正月は温泉にでも行きたいな」と言い続け、私も「それもいいねぇ」と応じるのだが、まだ一度も実現していない。
家内は私の母に料理を仕込まれた。
宮司家の一人娘に生まれ、神社の台所を切り盛りしてきた母の食への拘りは相当なもので、材料、調理、調味、何れにも妥協を許さなかった。
家内は母の厳しい仕込みに耐えて浜口家の味を受け継ぎ、さらに自らの工夫を重ねて、優れた料理人になった。
家庭料理のシェフとしてはこの上を望むべくもないと、私は大満足している。
その家内が母から受け継いだおせち料理が私は大好きである。
やっぱりこれがないと正月気分になれない。

私たち夫婦は結婚当初から両親と同居した。
開けっぴろげで直情派の母と控えめで慎重派の家内は、嫁と姑のお定まりの相克もあって、常に仲が良かったとは言えない。
それでも、長年苦楽を共にしてお互いの長所を認め、お互いを大切に思い、反りを合わせていった。
そして、私を大切にしてくれるという点では双方に遜色が無かった。
脳梗塞で要介護状態となった母は、10年以上、在宅で家内の献身的な介護を受けて2009年に87歳で逝った。

家内のおせち料理は今年も母直伝のままである。
大晦日の夜、私も仕上げを手伝った。味を確認して重箱へ詰めるのが私の仕事である。
ふたりで手を動かしながら自然と母の話になった。
母を懐かしむ家内の表情や声音に微塵の暗さもない。
私は母の思い出に浸りながら家内への感謝の気持ちを新たにした。
毎年こんなことを繰り返しているが、我が家のおせち料理には大切なものがいっぱい詰まっている。
家内はそんな私の気持ちを察して、おせち料理作りを続けてくれているのだと思う。