2018年11月9日金曜日

幸せな世代交代 〜 孫たちに「ありがとう」



私は三人の孫に恵まれている。
三人とも男子で、K・S・T、
小さい頃は私の絶好の遊び相手だったが、
いまや大学一年生、高校二年生、中学二年生ともなると
なかなか相手をしてもらえない。
三人三様の成長ぶりを見守ることで満足するしかない。
仲の良い三兄弟だが、容貌、性格、趣味、志望、
みんな似て非なるところが面白く頼もしい。

末っ子のTが長唄三味線の稽古を始めて六年になる。
小学校二年生の時に、或るパーティーで
津軽三味線の山本大さんの生演奏を聴いてよほど感動したらしく、
三味線を習いたいと言い出した。
私にとっては勿怪の幸いであった。

私は、大学受験に失敗して浪人した昭和三十八年に
長唄三味線の稽古を始めた。
浪人生活の暇潰しのつもりだったが面白くなって、
「浪人中になにごと」と父母が怒るほど熱中した。
大学を卒業するまでの5年間はかなり稽古を積んだが、
フジテレビに入社すると、当時の制作の駆け出しADに
余暇などあるはずもなく、三味線の稽古はなおざりになった。
それでも、師匠(杵屋長三郎)が見捨てずに
面倒を見てくれたおかげで曲がりなりにも稽古を続け、
昭和五十四年に名取(杵屋長八郎)を許された。

その後は仕事がさらに忙しくなり、頼りの師匠も亡くなり、
私が三味線を手にすることは稀になってしまったが、
今にして思えば、勿体ないことをしたと思う。
還暦も超えた頃になって
根っからの三味線音楽好き、伝統芸能好きが頭を擡げてきて、
昔取った杵柄にちょくちょく触れるようになった。
長唄のみならず端唄や津軽三味線にも惹かれて、
本條流家元の本條秀太郎さん、津軽三味線の山本大さんに師事した。
四十年前の腕前に戻るべくもないが、それなりに楽しんでいた。

そこへ孫の登場である。

まずは私が長唄三味線の手ほどきをすることにした。
すぐに飽きてやめることになるかもしれないと考えて、
どなたか師匠を探してお願いすることを躊躇したからでもあるが、
孫と向き合い稽古する至福の時間、孫から師匠と呼ばれる快感、
私がこのおいしい役目を放棄するはずもない。
まだ小さな身体に合わせて小振りの三味線を仕立て、
道具類を揃い立てて、ジィジとTちゃんのお稽古が始まった。

こんな小さな子に長唄は難しい。
「三味線を弾くのが面白いと思わせるためには・・・」
最初はそればかりを考えて稽古のメニューを作ったのだが、
思ったよりもTちゃんの飲み込みが早い。
三ヶ月ほどで「さくらさくら」「ことぶき」「松の緑」と
基本的な曲の稽古を済ませた頃には、
Tちゃんは赤譜(三味線用のタブラチュアの譜面)を読み取るようになり、
勘所や撥使いも一通りこなすようになった。

ジジバカで言えば、Tちゃんは人並み以上の
音感とリズム感に恵まれているようだ。ならば三段跳びで・・・
長唄「京鹿子娘道成寺」の「チンチリレンの合方」を練習曲に選んだ。
そもそもは津軽三味線の激しい演奏に魅せられたTちゃんが
喜んで挑戦すると考えたからである。これが図に当たった。
驚くほどのスピードでTちゃんはチンチリレンをこなしていった。
もちろん不完全ではあるが、
三味線の演奏のコツのようなものをわかり始めた様であった。

稽古を始めて半年も過ぎた頃には、
私はTちゃんの三味線で「ことぶき」「松の緑」を唄い、
「岸の柳」の替手を弾き、「チンチリレン」の早弾き競争を楽しむまでになっていた。
ちょうどこの頃、「東京都キッズ伝統芸能体験」の参加募集があり、
その長唄部門の稽古が西東京市で行われるというので
応募させたところ運良く参加を許され、
Tちゃんは2012年9月から本格的に長唄の稽古に取り組むことになった。
翌年3月に「キッズ伝統芸能体験」を卒業してからは、
自宅の近くにお住まいの稀音家六田嘉さんに師事して週に一度の稽古を続けてきた。
時々は私も一緒に稽古に通った。
孫が同好の士になってくれるとは、ありがたいことである。

そして、6年後の今年、中学二年生になったTちゃんは、
10月8日、師匠・稀音家六田嘉さんの推挙で、
「六代目稀音家六四郎襲名披露・長唄演奏会」の
国立小劇場の舞台で演奏する機会をいただいた。
私の興奮と心配をよそに、晴れの舞台でTちゃんは輝いていた。
私はこよなくうれしかったが、同時に、Tちゃんに追い越されたことを悟った。
そしてまたすぐに、「まだ負けるものか、勝負してやる。」とも思った。

KもSもTもいつの間にか成長して、とっくに私より背が高くなった。
身長だけではなく、いろいろなところで私を超えているのだろう。
私も年齢や病気のことなど考えずに頑張っているつもりだが、先は知れている。
勝ち目はない。これが世代交代なのであろう。
Tちゃんの三味線は幸せな世代交代の証なのである。

2018年8月12日日曜日

古墳で考えました



J:COMの「長っと散歩」、府中市の次回企画は市内の古墳巡りです。
8月6日にそのロケハンに行ってきました。
府中市文化スポーツ部ふるさと文化財課の西野善勝さんにご案内いただいて、
高倉塚古墳御嶽塚古墳武蔵府中熊野神社古墳を訪れました。
考古学には疎い私ですが、住宅街の中の古墳を目の当たりにして
古代を想像し歴史に思いを馳せ、単純に感動しました。
そして……たまたまこの日は広島「原爆の日」、
家を出る時に平和記念式典のテレビ中継を視て覚えた空しさを思い出しました。

毎年、同じように、原爆の悲惨さが語られ、
核兵器廃絶が訴えられ、平和への祈りが捧げられるこの恒例のイベント。
イベントは年々立派になっても平和の兆しは一向に見えません。
いつか目的を達する日が来るのでしょうか?
唯一の被爆国であり核廃絶を訴えて原爆の日に平和を祈念する日本が
核兵器禁止の国際条約には不参加?
総理や外相がどんな理由を並べ立てても納得できませんよ。
もっと本気になれないものでしょうか。
何千年もの間、人間は戦争を繰り返し、
戦争の悲惨さや空虚さを嫌と言うほど味わってきたはずなのに、
懲りないのですね、学ばないのですね。
いまだに人間同志が傷つけあい殺しあうことをやめない。
なぜでしょうか? 
そこを本気で問わなければ人間に万物の霊長たる資格はない。
早晩滅びると思うのです。

府中市の古墳群は6世紀、7世紀のものだそうです。
およそ1500年前です。
その頃の人々はどんな生活をしていたのか、知りたいなぁと思います。
もしかしたら、現代の私たちよりも利口で幸せだったかもしれませんね。
文明が進化するにつれて人間が退化している、
そんなことがないとは言い切れないでしょう。

8月20日のJ:COMの「長っと散歩」府中市古墳群の収録が楽しみです。
放送は9月16日~9月30日(府中市・小金井市・国分寺市・調布市)です。

2018年3月31日土曜日

さくらさくら



3月30日、J:COM東京の「長っと散歩」の収録で、
小金井市の玉川上水沿いの遊歩道を歩きました。
もちろん名勝小金井桜がお目当てです。
タイミング良く、好天に恵まれて、
お花見散歩を堪能しました。
この番組の放送は、J:COMの小金井市・府中市・国分寺市・調布市で、
4月16日~4月30日です。

私は1955年から武蔵野市に住み、
2010年に西東京市に転居して現在に至ります。
玉川上水や小金井公園の桜を60年以上も身近で愛でてきたのですが、
今回、西岡小金井市長と「名勝 小金井桜の会」の
石田会長、小沼副会長、杉山技術顧問から
小金井桜にまつわるお話しをたくさん伺って、
桜を観る眼が 変わりました。

1737年に玉川上水の両岸に植樹されたヤマザクラの並木が
小金井桜の起源だそうです。
ということは、小金井桜の歴史は300年近くになるわけですが、
300年前に植えた桜が現在も咲いているのではありません。
桜は放っておけば枯れて絶えてしまいます。
生育環境を整え、種の保存を継続し、景観を保たなければなりません。
小金井桜は地元の歴代の人々のさまざまな努力や工夫によって
守られて来たということを知りました。
日本全国の桜の名所も同様でしよう。
桜は奈良時代以来の日本の伝統工芸の作品なのです。
だからこそ、桜は大和心に例えられ
日本の国花として君臨しているのです。

時代とともに環境が変わり嗜好が変わり価値観が変わって、
日本古来のものの多くは切り捨てられ、忘れ去られる傾向があり、
日本の伝統工芸は押し並べて衰亡の危機に瀕しています。
匠たちが必死の思いで細々と伝統を守っています。
小金井桜も例外ではなく、樹木の老齢化や生育環境の悪化などによって
樹勢が衰えているそうです。
このまま放置すれば近い将来に名勝小金井桜は失われてしまう。
それを食い止めて、小金井桜のヤマザクラ並木を
次世代に継承しようと活動しているのが
名勝 小金井桜の会」のみなさんです。
石田会長、小沼副会長、杉山技術顧問は
“小金井桜の匠”なのです。
西岡市長も会員になっておられます。
私も、このたび入会を申し込みました。


桜には、こんな思い出があります。
私がまだ30代でしたが、桜の頃の一日、京都へ日帰り出張しました。
当時のトップスター、大川橋蔵さんとの番組出演の打合せで、
緊張の2時間あまりを過ごして、
夕刻、帰りの新幹線まで小一時間の余裕があったので、
タクシーの運転手さんにお任せで、
とある美しい庭園に立ち寄りました
 (どこだったか、 名前を覚えてないのが情けないのですが)。
庭先に大きな桜の木が1本、
その下の緋毛氈を敷いた縁台に腰掛けてホッと一息ついていました。
しばらくして、帰らなければと立ち上がったその時、
突然に強い風が吹いて桜の花びらが散ったのです。
見事な桜吹雪でした。
私は息をのんで桜吹雪がおさまるまで立ち止まっていました。 
束の間の 安らぎの時を惜しみつつ 桜吹雪に立ち尽くしけり
あのときの幻想的な光景は今でもハッキリと思い出せます。

もうひとつ、桜の思い出。 
私たちの頃の大学受験では合否を電報で知らせてもらうことができました。 
合格は「サクラサク」不合格は「サクラチル」 
 私も2年がかりで散ったり咲いたりしたものです。

もうひとつ、 
忠臣蔵で浅野内匠頭が切腹に赴く場面。
田村邸の庭先の桜の木の根方に控えて 
片岡源吾右衛門が内匠頭にひと目まみえる。
おたがいに無言で涙。
 片岡源吾右衛門には桜の花びらが散りかかっている。 
何度観ても泣けるあの場面、あの桜はなくてはならない桜です。

最後に、 側聞したことですが、
最近は「さくらさくら」を教えない学校があるとか。 
だから、「さくらさくら」を知らない子供が増えているそうです。 悲しいことです。

みなさん、今年はお花見を楽しまれましたか?

2018年1月1日月曜日

謹賀新年

明けましておめでとうございます。
本年もご厚誼よろしくお願いいたします。

家内と二人で静かな元旦を迎えました。
10年前、20年前、30年前、と遡って思い出すと、
父がいて母がいて、子供たちがいて孫たちがいて、
元日から来客がひっきりなしで、新年宴会が続いて、
賑やかで楽しかったなぁと………。
もっとも、仕事で家にいない暮れ正月も多かったですが。
いずれにせよ、年齢を感じざるを得ません。

昨年末に一週間ほど入院、意に反して、
すごく意に反して、老人病の手術を受けて30日に退院しました。
その所為もあって心細い年越しだったのですが、
家族や仲間たちに支えてもらって、
穏やかな気持ちで乗り越えました。

近くに住む娘夫婦と3人の孫たちはスキー場と温泉で年越し、
今夜やって来て、家内が整えた浜口家伝統のお節料理を囲みます。
明日は、みんな揃って、新宿の熊野神社に初詣。
3日には何組かの来客がある予定です。
4日は我が「にっぽん市」の仕事始め
そして、7日には仕事仲間の新年会。
まだまだ恵まれているなぁと、うれしい気持ちでいっぱいです。



家族、仲間、愛する人との絆こそが幸せの礎、
その集合体が社会をつくり、社会が集まって国、更に世界になる。
そんな思いを込めて、
今年は新しい仕事に取り組みたいと考えています。
「終生現役」を期して……

因みに、
今夜(元日)18時からBSフジ
お正月!オールスター家族対抗歌合戦」をご覧いただければ幸いです。
本日の産経新聞でも取り上げられています。