2025年5月7日水曜日

これでいいのか?フジテレビ!

「フジテレビの再生・改革に向けた
8つの具体的強化策及び進捗状況」
なるものが公表された。

その内容は、
メディアの追及を恐れ、
スポンサーや株主の圧力に屈服し、
第三者委員会の見解をすべて容認して
求められているがままに改革案をまとめたものと見た。

結果的に、世論におもね、その場凌ぎに終始する内容で、
フジテレビの主体性・志・覚悟の一片も感じられない。

この策に沿って改革され再生するフジテレビは、
ルール至上主義や拝金主義(民主主義や資本主義の
負の要素)に縛られた、テレビ放送事業を営むには
もっとも相応しくない企業になってしまうだろう。

過ちや不手際を繰り返して社会を騒がせたフジテレビが
責任を問われ能力不足を批判されるのは仕方がない。
フジテレビは手立てを尽くして様々な改革を断行し、
信頼の回復に努めなければならない状況にあるが、
大切なことは、その改革がフジテレビの意志と努力、
自力で行われることである。

清水社長は
「社外取締役が主導して取締役選任議案を策定すべき」
としているが、フジテレビの主体性をどう考えているのか。
フジテレビにはもはや自助能力が無いと言うのか。
大株主が社外役員候補を提案しているが、
これを大幅に受け容れることは乗っ取られることと同じ、
実質的にはフジテレビの消滅に等しい。

そもそも論だが、
株主は株式会社の仕組みを利用して金儲けを企む勢力であり、
スポンサーは自らの広告媒体としてメディアを活用する勢力、
両方とも自らの利益のためにフジテレビを利用する勢力であって
フジテレビの応援者でもなければシンパでもない。
その意向を忖度することはある程度やむを得ないにしても、
フジテレビの改革・再生を委ねるべき勢力ではない。

あまつさえ、言うに事欠いて、
「楽しくなければテレビじゃないから脱却する」とは何事か。
1980年代に「楽しくなければテレビじゃない」を掲げて
フジテレビは躍進の一時代を築き上げた。
この期に及んで、そのスローガンを生け贄にするとは、
現在のフジテレビには誇りも愛社精神もないのか。
もとより、「楽しくなければテレビじゃない」には
「楽しければ他のことはどうでもいい」という意図などない。
清水社長の「面白い番組を作るために、ほかのことを
犠牲にしてもいいと曲解された考えがあった。」は
詭弁である。こんな自虐的な理屈を捏ねてまで
株主やスポンサーに恭順することが改革ではない。

フジテレビよ、自力で立ち直ろう!
どのようにフジテレビを変えるのかを自力で考えよう。
スポンサー0・視聴率0からの出発も辞さぬ覚悟で
フジテレビを継承し、改革し、再生させて、
フジテレビへの世間の支持を再び勝ち取ろう!
ひいては、フジテレビのみならず、
公器としての有り様が問われているテレビ放送業界の
改革に繋げよう!
そして、日本社会に活を入れよう!

以上、諸々の憤懣やるかたなく、万分の一を吐露する。

2025年4月9日水曜日

近況

1月10日の投稿から3ヶ月以上経ってしまいました。
この間に、年齢相応の身体の劣化に見舞われて、
心臓の血管にステントを留置する手術を受けました。

80歳になった途端にこんな目に遭って、
ちょっと落ち込みましたが、
適切な医療のおかげで体調が回復し元気も回復しました。
ありがたく思っています。

1月の投稿で触れた「最初のひとしずく」プロジェクトの進行が
少々遅れてしまいましたが、諦めたわけではありません。
これから鋭意進めてまいります。

2025年も世相は暗いですね。
ろくでもないことばかり枚挙に暇がありません。

世界では、
あちらこちらで戦争が続いているし、
大国のリーダーたちは我利我利亡者だし、
世界の平和なんてことは欠片も考えていない。
大地震、洪水、山火事、気候変動、
地球の自然現象も人類を脅かしています。

日本では、
変革の担い手になるかも、と、かすかに期待した新総理は
信じられないようなガードの甘さで自滅しそうだし、
政争に明け暮れる与野党の政治家たちには何の期待もできない。
ジャーナリズムはメディアの変化に対応できずに混乱、堕落して、
自ら「オールドメディアとSNSの闘い」などと言い出す体たらく。
世界の、日本の、こんな状況から脱却しないと未来はない・・・
だから、「最初のひとしずく」を急がなくては。

こんな世相にはまり込んだかのように
フジテレビが大騒動を引き起こして憂き目を見ています。
OBである私はとても他人事、余所事にはできません。
フジテレビの危機管理能力のお粗末さが歯がゆく、情けなく、
地団駄を踏みました。
世間様に恥ずかしく、申し訳なく、
ただただお詫びするしかありません。

OBならではの所感や想い、言いたいことは山ほどあるのですが、
我田引水の擁護や反論にしかなりえない情況が
口惜しい限りです。

フジテレビは設立・開局以来66年、
多くの人が集い、働き、実績を積み上げて作ってきた会社です。
私は1968年入社、2020年まで52年間、
フジテレビの一員でした。

「母と子のフジテレビ」 「楽しくなければテレビじゃない」
「1992年のクーデター」 「三冠王時代」 「ホリエモン事件」
すべてフジテレビの社員として経験しました。
いいことばかりではありませんでしたが、
いいことも、いいところも、たくさんあった会社です。
世間様から褒めていただいたこともたくさんありました。

そのフジテレビの名がこんな形で世間に晒されたことが悲しい。
事件関係者の責任は厳しく問われなければなりませんが、
しかし、それがフジテレビのすべてでは断じてありません。
私はフジテレビOBであることの誇りを捨てません。

後輩諸君がフジテレビを継承し、誤りを正し、再生させて、
フジテレビへの世間の支持をふたたび勝ち取ってくれることを
切に願っています。

昨年いただいて咲き終わった胡蝶蘭の鉢花を
家内が自分の部屋で小まめに世話をして
今年も咲かせてくれました。
癒されています。

2025年1月11日土曜日

2025年 あけましておめでとうございます

年頭に投稿するはずでしたが年末の仕事中にパソコンがダウン、
悪戦苦闘しましたが結局はOSの初期化を余儀なくされて、
原状回復の作業を未だに引きずっています。

パソコンは現代社会を便利にしてくれた花形のひとつですが、
私は「パソコンはこんなに不便」を体験する羽目になりました。
データが消え、アプリが使えない、復元はこんなに面倒なの? 

私が初めてパソコンに触れたのは1995年、50歳の手習いで
なんとか使えるようになり、「パソコンはこんなに便利」と
感心しながら30年、iMac・iPad・iPhone・Apple Watchを
そこそこ使えているつもりだったのですが、とんでもない。
自分の知識や技術の未熟さを思い知らされました。
「生兵法は大けがのもと」ですね。
これを機に、パソコンをもっとよく知って、熟練して、
便利に使いこなせるようになりたいと思います。

というわけで、落ち着かない年末年始でしたが、それでも、
お墓参り、お節料理、初詣、麻雀、カラオケ、
家族に囲まれていたおかげでヒステリーも鬱も起こさずに
恒例の和やかなお正月を過ごしました。

昨年9月2日の投稿で
「日本について・・・世界について・・・人間について・・・
覚悟を持って評論に取り組みたい」と書きましたが、
その後も、日本も世界も騒々しく非生産的に揺れ動きました。
言いたいことや書きたいことが増えるばかりで、
「このままだと日本はおろか人類社会が破滅する」という
私の危惧がますます強くなりました。
憂いているばかりでなく何かできないかと思い始めました。

そこで、その歳で?と笑われるのを承知で、
私の信頼する数人の仲間を誘い、彼らの賛同と協力を得て、
あるプロジェクトをスタートさせる準備を進めています。
目的は「平和な人間社会の永続的存続」です。
地球という超大舞台に蟻が一匹這い出て何が出来るのか・・・
いまはそのレベルの話ですが「大河の流れも一滴の雫から」。
最初のひとしずくになることができればと思っています。

何年、何十年、何百年かかっても、
世界中のすべての人がこの大河を愛でるようになれば
「平和な人間社会の永続的存続」が実現します。
たぶん他に方法はないと思っています。

進捗状況を追々ご報告してまいりますので
スタートの暁にはご賛同くださいますようお願いいたします。
おくればせながら、年賀状を添付します。
本年もよろしくお願いいたします。

2024年9月2日月曜日

誕生日に寄せて

今年も私の誕生日にメッセージをくださいました皆様、
ありがとうございました。

いよいよ、やっと、とうとう、ついに、まだまだ、・・・
複雑な心境で80歳を迎えましたが・・・特に何の変化もなし!
老化なんて自分ではまったく感じていないし、
体力の衰えは多少ありますが、
それでも、膝関節痛とダイエットで苦労している程度です。

常にポジティブ思考の私としては、
80歳になったメリットを考えてみました。
・宮仕えから解放されていろいろな自由度が大幅に増した
・知己や仲間のほとんどが後輩 人間関係が気楽になった
・年金生活は 十分とは言えないが食えなくなることはなさそう
・寿命は天命と心得て ひたすら生き抜く覚悟はできている 
こうしてみると、世の中に怖いものがなくなって、
のんびりと我が儘に暮らせそうです。
皆様には引き続きお付き合いくださいますようお願いいたします。

とにもかくにも80歳! 
おそらくは人生最終盤のこの節目に、
この先の寿命をどのように生きようか考えました。
株式会社にっぽん市の仕事は生涯現役で続けます。 
  2016年6月に1エリア3自治体(国分寺市・小金井市・府中市)で
始まった「長っと散歩」は、現在、5エリア29自治体(10区19市)で
放送されるまでになりました。
「長っと散歩」はJ:COMチャンネルのほかJ:COMのアプリ
「ど・ろーかる」でもご覧いただけます。
区長さんや市長さんが案内役となって我が街を散歩する番組。
コミュニティーチャンネルJ:COM東京ならではの
ユニークな番組です。
ご支援のほどよろしくお願い申し上げます。

ほかにもやりたいことがたくさんあるのですが、
ひとつだけ、覚悟を持って取り組みたいのが評論です。
日本について・・・、世界について・・・、人間について・・・
私は、現在の世相を憂いています。
このままだと日本はおろか人類社会が破滅する、と危惧しているので、
頭の中や胸の奥に溜まっている私見や私感を憚りなく吐き出します。
評論ではなくエッセイかも知れません。
とにかく、日本の戦後80年を生きた市井の一庶民の切実な声です。
究極のテーマは「人間が進化しなければならない!」
人間社会の永続的な平和と発展を願う「遺言」をまとめるつもりです。
FBに投稿して株式会社にっぽん市の私のブログに格納します。
皆様のご意見ご助言もいただきたいので、よろしくお願いいたします。

急に話が飛びますが、私は目下、にっぽん市・羽田夏子代表の
ふたりのベイビー(一姫2.5歳 二太郎1.1歳 )に夢中になっています。
かわいくて・・・かわいくて・・・
その関連で知ったのですが、「ね」という童謡をご存じですか? 
幼稚園では大ヒット曲のようですよ。
とてもやさしい、あたたかい歌です。
この歌を、80歳になったおじいちゃんからプレゼントさせてください。
ね おじいちゃんになっても
ね おばぁちゃんになっても
ずっと ずっと いっしょに あったかく
つきあってたいね ね ね
https://www.youtube.com/watch?v=cTDyClHhSUk

2024年7月10日水曜日

押阪 忍さんを偲んで

昨日、押阪 忍さんが6月29日に亡くなられたことを知りました。
あれほどのお付き合いをさせていただいた先輩、仲間、友、
その逝去を10日も経ってから知るなんて・・・・・
自分の迂闊を恥じ、世の中の変わり様を痛感しながら、
押阪忍さんを偲び、御霊の平安を祈っています。

テレビのバラエティー番組の古き良き時代、
番組制作者だった私は押阪忍さんと数多の仕事をしました。
私のテレビマン人生の盟友の一人だと思っています。

私の知る限り、アナウンサー押阪忍の矜持は、
終生、変わることも衰えることもありませんでした。

年齢を重ねてからも、シーラカンスアナウンサーと自称して、
美しい日本語・正確な話術に拘り続けました。
見事なアナウンサー人生を全うされたと、拍手を贈ります。

仕事の域を超えて個人的なお付き合いも深まりました。
ご家族のみなさんとも仲良くさせていただきました。
あれも、これも、思い出には事欠きません。

アヤ子さん、雅彦さん、智彦さんの悲しみは
察するに余りあります。心からお悔やみを申し上げます。

訃報に接した夜、手元のDVDを数本見て
慰霊のひとときを過ごしました。
テレビのバラエティー番組の古き良き時代を
ひさしぶりに味わいました。
押阪忍さん、長らくおせわになりました。ありがとうございました。
安らかにお眠りください。

2024年2月4日日曜日

我が家の恵方巻き



昨日は節分、豆まきをして恵方巻きをいただきました。
我が家の恵方巻きは芳子さん(妻)の手作り。
手前味噌ですが、これが実に美味しいのです。

具材は七福神に因んで7種類。
鮪中トロ・厚焼き卵・高野豆腐・椎茸・干瓢・ほうれん草・桜でんぶ。
鮪とでんぶ以外は芳子さんが丁寧に調理します。
酢飯の塩梅と海苔の吟味は義母に仕込まれた腕前で申し分なし。
7本巻いて5本を娘一家に届けるのが恒例になっています。

最近になって、芳子さんが娘(亜子)に
「もう80歳だからね、恵方巻き作りも今年を最後にしようかな」と
つぶやいたそうで、これを聞いた亜子が夫や孫たちと相談して
「恵方巻き作りを引き継ごう」と全員一致で決めたとか、
早速、3人兄弟の次男、慎平くんが、恵方巻き作りの実習にやって来ました。

芳子さんと慎平くんの料理教室は、真剣に、でも楽しそうに進んで・・
見ている私は胸が熱くなりました。
こんな場面を作ってくれる、芳子さん、娘夫婦、孫たちに恵まれて、
ありがたくて、幸せでした。
2時間ほどで恵方巻き7本ができあがり、
5本を持って慎平くんは意気揚々と帰っていきました。

特別な味が加わってことさら美味しくなった今年の恵方巻き。
肥満解消を目指して節食中の私ですが、こればかりは完食しました。
食後の芳子さんと亜子のラインのやりとりを見ると、
芳子さんは来年も引退しないようでホッとしました。
我が家では余人を以て代えがたいシェフですから。

正直に言えば、
「主婦業に引退はない」の覚悟でがんばり続けてほしいものです。

2024年1月1日月曜日

謹賀新年

みなさま、明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。
今年は、
一歩でも戦争のない世界に近づけますように。

年始に以下をお届けします。
「株式会社にっぽん市」からの年賀状
浜口家からの年賀状
浜口家の神殿
鏡餅は家内と2人で作りました
浜口家伝統のお節料理
(召し上がっていただけないのが残念)