2016年11月18日金曜日

回想① 「手」

弊社にっぽん市
BSフジ「新春スペシャル! オールスター家族対抗歌合戦」を制作します。
収録本番まで1ヶ月。
このところ出場してくださるみなさんとの打合せが続いていますが、
それぞれの家族のさまざまなエピソードに触れて、感激すること頻りです。
そんな中で、自然と自分の家族のことを考えたり思い出したりして、
遠い昔に家族のことを書いた拙文をひさしぶりに読み返しました。
それを紹介させてもらいます。
「手」(1999年3月) 
初孫に恵まれてひと月余り。
娘と妻が買い物に出かけた数時間、赤ん坊を預かった。
この時とばかり抱っこして、名前を呼んだり、ほっぺを突っついたり、
相好を崩してあやしてみるが、
まだ目も見えない赤ん坊が反応してくれるはずもない。
小さなにぎりこぶしが可愛くてじっと見ていたが、
ふと、「なぜ手を開かないのだろう」と不思議に思い、
おそるおそる指をこじ開けにかかった。
小指を赤ん坊の手のひらにもぐり込ませてゆく。
すると、赤ん坊の手は開くどころかしっかりと私の小指を握りしめてくる。
けっこう力がある。
ちょっと引っ張ってみると、明らかに力を入れて引っ張り返してくる。
私は嬉しくなって、小さなにぎりこぶしとの引っ張りっこを存分に楽しんだ。
私の小指にしがみついている赤ん坊が、
私を慕ってくれているような気がして、つくづく愛しいと思った。
私と孫との初めての握手である。 
儀礼的なものは別として、握手する・手をつなぐというのは、
もっとも素朴で便利な愛の交流法である。
手のひらでお互いの皮膚や体温に触れて、
好意や信頼を感じたり、深めたりすることができる。
そして安心するのだ。
手をつないで歩いているふたりは間違いなく仲がいい。
私も五十年余りの人生で、何人の人と手を取り合っただろうか。
出会いや別れの握手、激励や団結の握手、喜びや感激の握手。
父母に手を引かれ、子供たちの手をとり、
仲間と手をつなぎ、恋人の手を握った。
大きくて力強い手、優しくて温かい手。
私の人生を支え、彩ってくれたたくさんの人々の顔とともに、
その手の感触を思い出すことができる。 
私には特別に大切な手がある。妻の手である。
のろけを言うつもりはない。
三十年も前になるが、結婚後二年ほどして私は不安神経症になった。
ノイローゼである。
頭痛、目眩、吐き気は序の口で、心臓が今にも止まるような恐怖に襲われて、気が狂いそうになった。
徹底的な検査を受けたが、身体に異常はないと言われ、精神科にも通った。
思い出すのも嫌なほど苦しい毎日だった。
特に夜が辛い。眠れないのだ。
枕元に幾種類もの薬を用意し何冊もの本を並べて不眠と戦った。
妻は長女を出産した直後だったが、そんな私の面倒を根気よく看てくれた。
ある夜、例によって眠れない私は、
なんとなく、横で寝息を立てている妻の手を握った。
苦しくて辛くて、自分が情けなくて、妻に申し訳なくて、
妻の手を握ったまま泣いた。
そして、眠ってしまったのである。
ひょんなことから眠る工夫が見つかったわけで、
それからは妻の手を握る癖がついてしまった。
このノイローゼは二年ほどで治ったが、私はそれ以来、今でも、寝付かれない時や体調がよくない時は、妻の手を握って眠る。
不思議に落ち着くのだ。
つい先日も風邪で発熱し、ひさしぶりに妻の手の世話になった。
「こいつの手もだんだん固くなってきたなぁ」などと思いながら、
やっぱり温かくて気持ちがよかった。 
小さな孫の手と温かい妻の手。
どちらも、私のかけがえのない宝物である。
そして私の手も、妻や孫の宝物でありたい、
関わり合う人たちを安心させる手でありたいと願う。
2005年、3人の孫たちと。
今年は長男が大学受験・次男が高校受験・三男が中学受験…
と勉強に忙しくて遊んでもらえない。

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