2020年11月27日金曜日

武蔵野を讃う



ベランダから遠くに富士山が見える。
これは我が家に恵まれた最高の贅沢で、家内などは、もう十年、飽きもせずに、富士山を楽しんでいる。
朝起きたら一番に富士山が見えるかどうかを確かめ、日没を待ち焦がれて夕焼けと富士山に見とれる。
富士山が見えない日はご機嫌麗しからずである。
特に夕暮れの眺望がすばらしい。
夕焼けの色の千変万化、趣を添える雲の動き、そこに浮かぶ富士山のシルエット
十日ほど前、私も日没まで夕景を楽しんだのだが、
そのときに思わず口ずさんだのが吟詠「武蔵野を讃う」である。

武相の連山 紫紅に映え
富嶽遙かに望めば 雲残照
噫 武蔵野 月 雪 花
古今の墨客 感懐を誌す

まごうことなく、
美味し国日本、WONDERfull NIPPONの風景である。

2020年10月21日水曜日

創作舞踊「転 Turning」(アートにエールを!東京プロジェクト)



先に(株)にっぽん市が「アートにエールを!」に参加したことをお知らせしましたが、その作品「長唄絵巻・桃太郞」は視聴回数が2000回を超えました。ありがとうございます。

余勢を駆ってもう1本、(株)にっぽん市代表・羽田夏子の舞踊の師、花柳智寿彦さんからのご依頼を承けて、創作舞踊「転 Turning」の収録・編集をお手伝いしました。
実力派舞踊家である花柳智寿彦さんの“いま”を捉えた現代的感覚の見事な舞踊に何度見ても圧倒されます。
日舞をあまりご覧にならない方にも是非見ていただきたい作品です。
コロナにも勝つことができるような気になります。
我田引水ながら、羽田夏子の編集の腕も褒めてやりたいと思います。
是非、ご覧下さい。

2020年9月1日火曜日

誕生日に寄せて

今年も誕生日に皆様からメッセージをたくさんいただきました。
遅くなりましたが御礼を申し上げますとともに、私事のご報告をさせていただきます。

満76歳になった私ですが、本日(9月30日)、フジテレビ在籍に終止符を打ちました。
バラエティー制作20年、スポーツ局15年、デジタル放送推進協会10年、専任顧問7年。
昭和43年入社から52年余り、この年齢まで「フジテレビの浜口」で居られたことをありがたく思っております。
振り返れば……あれも、これも、懐かしく思い出されます。
私の勝手な思い込みですが、バラエティーもスポーツもデジタル化も、それぞれいちばん面白い時期に夢中で仕事をして燃焼し尽くしました。
「我がフジテレビ人生、以て瞑すべし。」と充足感を覚えています。
そして、私のフジテレビ人生を支え、彩り、豊かにしてくださった
先輩・同僚・後輩・仲間・友人、皆々様に心から感謝しています。
私がフジテレビ人生で得た最大の収穫・財産は人との出会いと繋がり、多くの方々からいただいたご厚誼です。ありがとうございました。
私が人生を注いだフジテレビ、私に幸せをくれたフジテレビですが、私はこれからのフジテレビに注目せざるを得ません。
昨今の世の中でメディアが果たすべき役割や負うべき責任の不透明度が増しています。
フジテレビが激動激変の世に気概を持って臨み、未来を切り拓いて、メディア事業のリーディングカンパニーとして輝くことを期待します。

私は2016年に (株)にっぽん市を設立しました。
小さな(株)にっぽん市の大それた望みは、さまざまな分野で、さまざまな方法で、美(うま)し国日本の復活を図ること。
フジテレビ人生の財産である人脈のおかげで、若く頼もしく優秀なパートナーに恵まれ、たくさんの後輩たちの協力や支援を得て、 番組・映像制作、アート・デザイン、翻訳・日本文化推進事業など、意に叶った仕事を手掛けています。
向後も(株)にっぽん市を拠点に、気力・体力の続く限り、生涯現役を貫く覚悟です。
「フジテレビの浜口」ではなくなりましたが「にっぽん市の浜口」を今後ともよろしくお願いいたします。




2020年7月20日月曜日

アートにエールを!東京プロジェクト




「アートにエールを!東京プロジェクト」。
新型コロナウイルス騒動で活動の場を失っているプロのアーティストやスタッフを支援し、東京の文化の灯をともし続けるために、と、東京都が立ち上げました。
プロのアーティスト・クリエイター・スタッフの自由な発想による動画作品を募集し専用サイトで配信するというこのプロジェクトに、㈱にっぽん市は迷わず応募することにしました。
我が社の理念に沿って日本の伝統芸能をアピールする絶好のチャンスだからです。

企画は簡単に決まりました。
日本の伝統音楽・長唄を日本中に、世界中にアピールする。
次に仲間作り、長唄の六代目家元・稀音家六四郎さんにご協力いただいて、唄2・三味線2・囃子3、計7人の演奏家が揃いました。
映像と音声の収録を引き受けてくれたのは㈱スタックの深瀬大輔さん。プロデュース・構成・演出・編集、そのほかの雑務一切は㈱にっぽん市の羽田夏子と私。
この10人で制作集団「座・にっぽん」を組み上げました。
取り組んだ動画作品は「長唄絵巻・桃太郞」。
作品はアートにエールを!のサイトで是非ともご覧ください。

10人のプロが力を合わせたこの作品作りはほんとうに楽しかった。
各々のプロの仕事振りが素晴らしかった。
長らくテレビに関わってきた私ですが、番組作りの原点の興奮をひさしぶりに味わいました。
それと、私の人生の最大の財産はこんなに素晴らしい人達との縁だということを再認識しました。

見事な演奏をしてくださった稀音家六四郎さん、稀音家光さん、稀音家清水さん、藤舎理生さん望月晴美さん望月庸子さん、ありがとうございました。
映像と音声を見事に収録してくれた深瀬大輔さん、ありがとうございました。
語り、挿絵、翻訳、編集、プロデュース、いくつもの仕事を見事にこなした羽田夏子さん、特に、あの緻密な編集には敬服しました。ありがとうございました。
稀音家六泰介くんも見事に頑張りました。きみが孫でいてくれて、じいじは幸せです。ありがとう。
そして、このプロジェクトを実施してくれた東京都にも、ありがとうございました。

2020年6月1日月曜日

にっぽん市食堂「きゅうりと油揚げの酢の物」


にっぽん市食堂の「きゅうりと油揚げの酢の物」
私の子供の頃からの大好物をご紹介します。
簡単に作れる一品で、味付けはほんの少量の酢・醤油・砂糖、その割合はお好みで・・・
酸っぱめ、辛め、甘め、数値化しないところが味です。
私が子供の頃、食べるものが潤沢で無かった頃、
白いご飯とこのきゅうりもみがほんとうにうまかった。
これをいただくとき、私は必ず母を想います。
ほんの一瞬出演しているかわいい私(?)にもご注目を

2020年5月9日土曜日

にっぽん市食堂・茶碗蒸し


食べることが大好きな私が、
おふくろ孝行・奥さん孝行・にっぽん孝行を兼ねて、
我が家の家庭料理を紹介する「にっぽん市食堂」を始めました。
第1回をご覧くださった皆様、ありがとうございます。
おふくろ孝行・奥さん孝行はおわかりいただけると思いますが、
にっぽん孝行とは・・・
お袋の味・故郷の味・伝統の味・日本の味を大切にするということです。
和食が世界遺産に登録されましたが、喜んでばかりもいられません。
「和食は優れた食文化であるが、いまや絶滅が危惧される。」
という側面もあります。みなさん、和食を大切にしましょう。
「にっぽん市食堂」では和食の中枢を担う家庭料理を次々と紹介します。

今回の食堂メニューは「茶碗蒸し」。
我が家の「茶碗蒸し」が美味しいのです。
あのつるっとした喉越しと、ほのかな出汁の味わいが堪りません。
冬はホカホカ温かく、夏はスッキリ冷やして、季節の食材を加えるのも楽しみ。
母の猛特訓に耐えて奥さんが受け継いだ我が家の逸品です。
奥さんは、「15年ほど前にNHKの某番組で『茶碗蒸しで失敗しないコツ』を教えてもらってからは 一度も失敗したことがない」と豪語しています。
我が家へお越しいただければご馳走いたしますよ。

その茶碗蒸しが、今日から「にっぽん市食堂」でご覧いただけます。
なんと、今回から11カ国語の翻訳付き。
世界制覇も夢じゃないかも(冗談です)
「にっぽん市食堂」ご贔屓よろしくお願いします。
チャンネル登録してくださいね。

2020年4月26日日曜日

にっぽん市食堂



㈱にっぽん市の動画チャンネル「にっぽん市ちゃんねる」で
家庭料理のレシピをご紹介する「にっぽん市食堂」を開店しました。

料理も手作りなら動画も手作り、
我が社の代表・羽田夏子が生徒役、
私の奥さん・よしこさん(本邦初公開)が先生役、
私の孫・稀音家六泰介が音楽担当
撮影や編集も羽田夏子が担当します。

日本の家庭料理の美味しさ、温かさ、料理の楽しさなどを
ご笑味いただければ幸いです。
それと、動画にもレシピにも英語の翻訳が付いていますので
英語のお勉強にも役立ててください。

浜口家は母の食へのこだわりの所為でエンゲル係数が高い家でした。
母は典型的な「日本のお母さん」、専業主婦で口八丁手八丁、家事万端に勤勉な人でしたが、中でも、料理を作って、振る舞って、喜んでもらうのが大好きでした。
いつ何時お客さんが来てもいいように、食材を十分に準備しておくというのが信条で、我が家の三つの大型冷蔵庫は常に満杯状態でした。
実際、私の仕事柄、大人数の来客が頻繁だったのですが、母はこの時とばかり張り切って、料理でもてなしてくれました。
いま思えば、私の仕事を応援しようという気もあったのでしょう。
来客に不愉快な思いをさせてはいけない、人が寄りつかない家は栄えない、
というのが母の口癖でしたが、たくさんの人に料理を食べていただいて、おかげでたくさんのお友達に恵まれて、母はとても楽しそうでした。

私の家内のよしこさんは結婚当初は母の食へのこだわりにショックを受けたようですが、母はお構いなくよしこさんを鍛えました。
かなりキツかったと思いますが、よしこさんは自分の理屈や嗜好を抑えて、母に向き合ってくれました。
結婚して2、3年目の頃、初めて自力で作った茶碗蒸しを、母から「よくできた。合格ね」と褒められて、よしこさんが涙ぐんでいたのがいまでも目に浮かびます。

年を重ねて、よしこさんは母に並ぶ料理人になって、母の味を完璧に受け継ぐとともに、新しい味をたくさん開発しました。
母が亡くなって十年余りになりますが、いまでも「浜口家の味」は不滅です。
母とよしこさんが作ってくれた「浜口家の味」は私の最高の財産なのかもしれません。

よしこさんは勉強好きでやりたいことがたくさんあったようですが、浜口家の諸事情で、結局は専業主婦にならざるを得ませんでした。
そして、金婚式を過ぎて「金メダル専業主婦」になってくれました。
最近は少し暇が出来て退屈しているようなので、私は「浜口家の味」のレシピを纏めるように薦めていました。
よしこさんが「にっぽん市食堂」をやる気になってくれたことをとても喜んでいます。

ガンバレ!よしこさん。

2020年4月8日水曜日

国立駅舎デジタルサイネージ


こんなご時世ですが、皮肉なことに今春は桜を存分に楽しみました。
J:COMの番組「長っと散歩」のおかげです。
小平、立川、東村山、府中をロケで歩いたのです。
どこでも、桜は見事に咲き誇っているのに、観ている人がほとんどいませんでした。もったいない。
「外を散歩するのは良いことだけれど密集・密着はいけない」
密集・密着しないようにして桜を楽しめば良いのに・・・と思っているうちに、「できるだけ外に出るな」になりました。
外で良い空気を吸うのはいいことじゃないのかなぁ?

それはともかく、国立駅南口大学通りの桜は今年も見事でしたが、おまけに、国立市のシンボルとも言える国立駅の旧駅舎が復活しました。
旧国立駅舎復活と大学通りの桜
コロナ騒ぎがなければ賑わったでしょうに、残念なことでした。
その旧国立駅舎内のラウンジのデジタルサイネージで
「くにたち大学通り桜物語」(制作:にっぽん市)が放映されています。
もう一度お花見、いかがですか?

2020年1月3日金曜日

我が家のおせち料理



娘が嫁ぎ、父が逝き、母が逝き、夫婦二人きりになって10年になる現在でも、我が家では家内が毎年のようにおせち料理を作る。
いまや、おせち料理でもてなさねばならない来客があるわけでもなく、元旦に娘一家がやって来て祝い膳を囲めば、それでおせち料理の役目は終わる。
この10年、家内は「おせち料理はやめてお正月は温泉にでも行きたいな」と言い続け、私も「それもいいねぇ」と応じるのだが、まだ一度も実現していない。
家内は私の母に料理を仕込まれた。
宮司家の一人娘に生まれ、神社の台所を切り盛りしてきた母の食への拘りは相当なもので、材料、調理、調味、何れにも妥協を許さなかった。
家内は母の厳しい仕込みに耐えて浜口家の味を受け継ぎ、さらに自らの工夫を重ねて、優れた料理人になった。
家庭料理のシェフとしてはこの上を望むべくもないと、私は大満足している。
その家内が母から受け継いだおせち料理が私は大好きである。
やっぱりこれがないと正月気分になれない。

私たち夫婦は結婚当初から両親と同居した。
開けっぴろげで直情派の母と控えめで慎重派の家内は、嫁と姑のお定まりの相克もあって、常に仲が良かったとは言えない。
それでも、長年苦楽を共にしてお互いの長所を認め、お互いを大切に思い、反りを合わせていった。
そして、私を大切にしてくれるという点では双方に遜色が無かった。
脳梗塞で要介護状態となった母は、10年以上、在宅で家内の献身的な介護を受けて2009年に87歳で逝った。

家内のおせち料理は今年も母直伝のままである。
大晦日の夜、私も仕上げを手伝った。味を確認して重箱へ詰めるのが私の仕事である。
ふたりで手を動かしながら自然と母の話になった。
母を懐かしむ家内の表情や声音に微塵の暗さもない。
私は母の思い出に浸りながら家内への感謝の気持ちを新たにした。
毎年こんなことを繰り返しているが、我が家のおせち料理には大切なものがいっぱい詰まっている。
家内はそんな私の気持ちを察して、おせち料理作りを続けてくれているのだと思う。