田無神社社報・第23号に寄稿しました。
私の神様
私は終戦直後から3年ほどの幼少時代を母の実家である熊野速玉大社の宮司家で過ごしました。由緒ある熊野三山の神邑で神々の懐に抱かれて育ったようなものです。それにも拘わらず若い頃の私は、神様なんているはずがない、神様が助けてくれるなんてあり得ない、人間はすべて自力で生きなければならない、と思い込んでいました。しかし、努力が報われなかったり、重大な選択や決断を誤ったり、運不運を痛感したり・・・、自分の能力や努力の限界を思い知らされるような経験を積み重ねて、年齢とともに、「人間や世の中を支配する神様がいるのかもしれない」「助けてくれる神様がいてくれたらいいのに」と思うようになりました。実のところ、無信仰・無宗教だった私も無意識に「苦しい時の神頼み」を何度もしてきました。入試の発表の時、母が生きるか死ぬかの大手術をした時、娘が生まれる時、家内が健康を損ねた時、飛行機に乗る時、ゴルフやマ−ジャンでここ一発の時、いろいろなたくさんの場面で、自然に「かみさま」と呟き、手を合わせてきました。そして、ちょうど五十歳の時、人生に大きく躓いて苦境に立った私は初めて真剣に神様を求めました。
私が求めた神様には条件がありました。万人が否定できない存在であること、万人に対して公平であること、たとえば、古代に信仰の原点となった自然崇拝は私の神様の条件を満たすのですが、自然科学が発達した現代では自然の神秘性が薄れ、そこに神様を見つけることは難しくなりました。宗教も私の神様にはなり得ません。キリストもマホメットも釈迦も孔子も、万人に認められ、万人に公平で、万人を支配しているとは言えません。宗教の独善性や排他性、宗教同士の対立抗争など、二千年以上の史実が宗教の限界を証明しています。いまだに宗教が原因の紛争が止まないところを見ると、宗教は神様どころか悪魔になり果てたのかもしれません。
おぼろげながら私が見つけだした私の神様、それは歴史です。我々が現在に存在するのは過去の結果、過去のおかげです。我々は祖先たちの種の保存の継続によって生命を授かり、祖先たちの英知と努力が築いてきた文化・文明を継承し享受して現代に生きています。この事実は、現在の地球上の万人が認め、万人に公平です。私が「歴史が神様だ」と定義しても特に差し支えはないでしょう。私には自分が納得できる神様が必要なのであり、他人に私の神様を押し付ける気もないのですから。
現存する信仰の形態の中で私のこの考え方に沿ってくれそうなのが神道でした。私は神道に精通しているわけではありませんから偉そうなことは言えませんが、少なくとも、先祖崇拝が基本であること、特定の人間を教祖とする宗教ではないこと、教義や戒律がないこと、などが私の求める神様像に合致しました。遅ればせながら私は五十歳にして我が家に御神殿を設けて、以来二十五年、毎日「私の神様」に向き合う日々を過ごしています。浜口家代々のご先祖様も、最近神様になった父母も、私を見守っていてくれています。神棚に朝の挨拶をして「さぁ、今日も一日がんばろう」と気合いを入れます。就寝前には一日を振り返りながらクールダウンします。辛いときや苦しいときは神様に愚痴を聞いてもらいます。それだけでなんとなく落ち着き安らぎます。時々「神頼み」をしてしまいますがやっぱり神様は一切助けてくれません。「神様は万人に公平」ですから贔屓はしてくれないのです。神棚に向かって呟いたこと、願ったことはすべて自分に反射してくる。それを受け止めて、よく考えて、自分の行動の指針を自分で決める。これが私と私の神様との関係です。
私は、神道は宗教ではないと考えています。神様仏様と言いますが、本来、日本に於いては、神は仏の上位概念です。だからこそ仏教は至極簡単に日本に入って来ることができたのでしょう。日本が宗教に対して寛容な国であると言われる所以もここにあります。戦後のどさくさの中で神道は宗教にされてしまいましたが、日本が戦後を離脱して本来の日本に戻るためには、日本人の心の支柱として神道が再評価され地位を回復することが肝要だと考えています。
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