「フジテレビの再生・改革に向けた
8つの具体的強化策及び進捗状況」
なるものが公表された。
その内容は、
メディアの追及を恐れ、
スポンサーや株主の圧力に屈服し、
第三者委員会の見解をすべて容認して
求められているがままに改革案をまとめたものと見た。
結果的に、世論におもね、その場凌ぎに終始する内容で、
フジテレビの主体性・志・覚悟の一片も感じられない。
この策に沿って改革され再生するフジテレビは、
ルール至上主義や拝金主義(民主主義や資本主義の
負の要素)に縛られた、テレビ放送事業を営むには
もっとも相応しくない企業になってしまうだろう。
過ちや不手際を繰り返して社会を騒がせたフジテレビが
責任を問われ能力不足を批判されるのは仕方がない。
フジテレビは手立てを尽くして様々な改革を断行し、
信頼の回復に努めなければならない状況にあるが、
大切なことは、その改革がフジテレビの意志と努力、
自力で行われることである。
清水社長は
「社外取締役が主導して取締役選任議案を策定すべき」
としているが、フジテレビの主体性をどう考えているのか。
フジテレビにはもはや自助能力が無いと言うのか。
大株主が社外役員候補を提案しているが、
これを大幅に受け容れることは乗っ取られることと同じ、
実質的にはフジテレビの消滅に等しい。
そもそも論だが、
株主は株式会社の仕組みを利用して金儲けを企む勢力であり、
スポンサーは自らの広告媒体としてメディアを活用する勢力、
両方とも自らの利益のためにフジテレビを利用する勢力であって
フジテレビの応援者でもなければシンパでもない。
その意向を忖度することはある程度やむを得ないにしても、
フジテレビの改革・再生を委ねるべき勢力ではない。
あまつさえ、言うに事欠いて、
「楽しくなければテレビじゃないから脱却する」とは何事か。
1980年代に「楽しくなければテレビじゃない」を掲げて
フジテレビは躍進の一時代を築き上げた。
この期に及んで、そのスローガンを生け贄にするとは、
現在のフジテレビには誇りも愛社精神もないのか。
もとより、「楽しくなければテレビじゃない」には
「楽しければ他のことはどうでもいい」という意図などない。
清水社長の「面白い番組を作るために、ほかのことを
犠牲にしてもいいと曲解された考えがあった。」は
詭弁である。こんな自虐的な理屈を捏ねてまで
株主やスポンサーに恭順することが改革ではない。
フジテレビよ、自力で立ち直ろう!
どのようにフジテレビを変えるのかを自力で考えよう。
スポンサー0・視聴率0からの出発も辞さぬ覚悟で
フジテレビを継承し、改革し、再生させて、
フジテレビへの世間の支持を再び勝ち取ろう!
ひいては、フジテレビのみならず、
公器としての有り様が問われているテレビ放送業界の
改革に繋げよう!
そして、日本社会に活を入れよう!
以上、諸々の憤懣やるかたなく、万分の一を吐露する。